みんな良かれと思って動いている

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山用品のお店で働くようになってから、仕事でたくさんの人(来店者)と会うようになりました。

オフィスワークの時と比べるとものすごい数です。

そんなすごい数の方たちとお会いして、最近ようやく分かったことがあります。

それは、「人はみんな良かれと思ったことをやっている」ということ。

「良かれと思って」って、言葉としては知ってたんだけど、本当の意味を感じたことがなかったのです。

 

私から見ると信じられないくらい「悪い」ことをやっているように見える人も、本人は「良いことをしている」と信じてやっているんですよね、きっと。

自分の意見を強要してくる人も、「この考えの方が正しくて、相手のためになるんだから、教えてあげよう。相手の間違いを正してあげよう」と思っている。(と仮定)
(余計なお世話だ、押し付けてくるな、というのはとりあえず脇に置いておいて)

乱暴な言葉や意見を言う人も、それがその場にふさわしくて正しい、別のやり方よりもその方が良いと思うから、そうやっている。

 

となると、暴力を振るう人も、「この場では暴力を振るった方がいい」と思ったから暴力を振るっているのかもしれない。

 

セクハラやパワハラは、相手が嫌がることをしていると自覚している人は少ないのではないかと思う。(パワハラは自覚があるのかな?嫌がっているのを見て更にやってやろうという人もいるのかもしれない…)
「相手のことを思って」「よかれと思って」「喜ぶと思って」セクハラやパワハラをする人は多そうだ。

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今まで、ずっと不思議だったです。

「何でそんなひどいことができるんだろう?」って。

私が同じことをしたら罪悪感にさいなまれて夜眠れなくなったり、食事を受け付けなくなったり、心身の調子を崩したりしそうだけど、そんな様子は全くなく図々しい態度で相手はのうのうと生きている。

謝るどころか、ひどい言動を改める様子も控える様子もない。

罪悪感が無いのかな?

そんな人いる?

罪悪感が無い人…サイコパス?

なるほど、罪悪感というものが欠如していれば、感じなそうだ。

などと結論づけて、なんとか自分を納得させていました。

前職の社長だけでなく、身の回りの「ひどい人」のことも。

 

でも、身の回りにサイコパスがそこまでたくさんいるように思えないので、スッキリしていなかったのです。

 

私にとって「悪いこと」「嫌なこと」が、その人が良かれと思ってやってきたことであれば、それはただの価値観の相違なので、断ったり拒絶しても私が罪悪感を感じる必要は全くないし、「何なのこの人?」と苛立ちを感じたり不気味に思ったり怖がったりする必要もないですね。

「どういうつもりなの?」って、「良かれと思って」なんだな。

 

私にとって嫌なことを「良かれ」と思ってやってくる人とは理解しあえないので、遠慮する必要もなく断ったり拒絶していいんだなと思いました。

 

前職の社長の呪いのせいで、嫌なことも我慢することが美徳と刷り込まれているため、こんなことも分からなくなっていました。

恐ろしいですね。呪いって本当に恐ろしい。

離れてよかった。会社を辞めて本当に良かった。

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